「べらぼう」をどう楽しもうか ~FEB,2025~
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NHKという放送局は広く国民から視聴料を徴取しており、それだけ番組編成やドラマのテーマを含め、視聴者層への配慮に相当気を使われていると思います。今年の「べらぼう」は、江戸風俗と政治環境を並行しドラマにしたてており、脚本の技量に感銘を受けながら見てますが、一方でこの作品は見ている人達にストーリーが入りづらいようなストレスを与えていて、受け手が二極化しているのではと想像してます。恐らく多くの日本人にとって、18世紀後半は吉宗と家斉の時代の間にある、賄賂や大飢饉、あまり上手くいかなかった寛政の改革といった出来事を連想する地味で暗いイメージがあり、比較的記憶に残っていないのではないでしょうか。
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昨年の「光る君へ」は、例え時代背景をよく知らなくても、道長とまひろのラブストーリーや出世物語、或いは華麗な平安絵巻物語としても面白く、画像も美しく、多くの人を惹きつけたのではないかと思います。一方今年は脚本家の森下佳子さんはナレーション(綾瀬はるか)の入れ方も含めて相当気を使われているように見えます。それでも事前に基礎知識を入れておかないと話を追いにくいように(勝手に)思いましたので、以下ちょっと補筆してみます。
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“田沼意次の出自”
前稿(佐野編)で書きましたが、藤原秀郷流佐野氏は12世紀以降多くの庶流が分かれました。地元で最後に所領を守っていた佐野家は大坂の陣の前年に改易となり、その後寄合旗本として存続しましたが今回のストーリーとは直接関係はありません。田沼家は吉宗が紀州から連れてきた藩士(元は足軽)の意行が600石の直参旗本となり、意次が家重・家治に認められて大出世した家でした。
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ドラマでは旗本佐野政言(こちらの佐野家は三河で松平に仕えたもの)が、自家系図を意知に貸し出し、意次がそれを庭の池に放り投げてました。佐野政言は系図改竄で田沼に恩を売ろうと持ち掛けたわけですが、意次は相手にしません。彼は後に大事件を起こします(殿中での意知暗殺)。
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筆頭老中松平武元も、成り上がりの田沼意次に日光社参に参加しようも馬に乗れる家臣がいないだろうと嫌味を言ってましたが、元々水戸徳川家庶流の出で田沼家を馬鹿にしていても仕方がありません。それにしても石坂浩二82歳、流石の名演技です。
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“将軍の日光社参”
江戸時代を通じて計19回有りましたが、その内17世紀に行われたのが16回あり、以降は吉宗、家治、家慶が一度ずつ詣でました。今回話題になってますのは家治のものであり、ドラマでは嫡男家基が行きたがっているとの言い回しで、家治は田沼意次を説得していました。家基はそもそも意次の推薦で家治の側室に上がった蓮光院に出来た男子であり、聡明かつ文武両道の才を見せ次代将軍候補として大きな期待を集めましたが僅か18歳で鷹狩りの帰途急に体調を崩し亡くなりました。元気な若者が急逝した為、政策面で非難していた意次や、次の将軍家斉の実父だった一橋治済が暗殺したのではとの疑惑もあります。家治には他に男子が居らず、将軍家の跡継ぎ問題が起こりました。
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“天明の大飢饉を契機に松平定信が老中に”
寛政の改革を指揮した松平定信は、御三卿の一角田安家に生まれ、白河藩松平家に養子に出ました。この家の本姓は久松家であり、家康の母(伝通院)が父松平広忠と離縁後久松家に再稼し、生まれた家康の異父弟達の末裔になります。定信は田安家を継いでいた兄が早逝した為戻ろうとしましたが叶わず、田沼失脚後老中として手腕を振るうことになりましたが、本来家治の次の将軍候補になるチャンスは有りました。
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整理しますと、べらぼうの“為政者側”の登場人物で当座覚えておくのは、老中関連で松平武元と田沼意次、松平定信の三人、将軍で家治と早逝する嫡子家基の二人、そして早晩次期将軍候補の選定で暗躍し息子(家斉)を将軍にする一橋治済(生田斗真)となります。
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安田顕の平賀源内いいですね。高松藩から奉公構(自由だけど他藩で仕官できない)の処分を受けていた点、セリフでもその旨説明がありました。最後は刃傷沙汰で獄死してしまいましたが、田沼意次は彼を蝦夷地開拓責任者にしたかったようです。まだまだこれからですが、今年も大河ドラマは見続ける事にしました。
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