下野佐野 ~ FEB,2025 ~
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中世の関東武士団の由来は、殆どが京の武闘派貴族三派の末裔になります。即ち9世紀に土着した桓武平氏、10世紀に平将門を滅ぼした藤原秀郷(俵藤太)、そして11世紀に活躍した源頼義・義家です。藤原秀郷の末裔は主に下野(栃木県)で展開しましたが、中でも佐野氏は12世紀~17世紀に至る500年余り中世を生き延び、戦国の世を乗り越えて存続したものの大坂の陣の前年に改易されました。それにしても関東平野の名族は家康の江戸入府に伴い、理由はともあれ悉く改易・転封の末に関東から追い出されました。宇都宮氏(秀吉による改易)、結城氏(家康次男秀康が養子に入る)、佐竹氏(秋田久保田藩に減封)、里見氏(伯耆に減封後改易)が典型でしょうか。
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佐野氏最後の大名信吉は関ケ原の戦いで東軍に付き何とか所領安堵されましたが、10世紀に秀郷が構えた名城「唐沢山城」を出て平野部にある小高い丘陵に佐野城を築きました。佐野氏の改易と共に廃城となりましたが、佐野駅前にある見晴らしの良い公園となっており、改易時の39千石の身の丈に合った小ぶりな縄張りである事がわかります。
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昨年の大河ドラマ「光る君へ」の余韻に浸る中で、2025年の「べらぼう」では田沼意次を渡辺謙が演じていますが、田沼氏も佐野一族になります。田沼意次の父親意行は紀州藩士から吉宗の将軍就任に伴い旗本となり、息子意次の飛躍の礎を造りました。
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前回放送で平賀源内との掛け合いで二人が日本の開国について話してましたが、毀誉褒貶多い意次の中の陽の部分については近年面白い本も出てきました。「べらぼう」が扱う吉原や江戸風俗の新刊も最近多いですね。ストーリーやセリフを理解するには一度目を通した方がいいと思います。
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旧田沼町は平成の大合併で佐野市に編入されましたが、田沼家の菩提寺「西林寺」が一瓶塚稲荷神社の隣にひっそりと建ってます。
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佐野には真田家存続を賭けた「犬伏の別れ」の舞台となった小さな薬師堂が有ります。昌幸と次兄信繁(幸村)は上田城から、長兄信幸は江戸から会津征伐に向かう家康に合流しようしますが、その途上当地で東西何れに付くべきか話し合い、昌幸・信繁は上田に戻り西軍に付き、信幸は東軍に付くべく小山評定に向かいました。犬伏から小山は10km程度の距離になります。
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江戸期に佐野の一部は彦根藩井伊領になりましたが、桜田門外で倒れた井伊直弼の墓が顕彰碑と共に天応寺にあります。田沼意次が失脚し70年が経過し、大老井伊直弼は日米修好通商条約を勅許を得ず締結しました。直弼の死を代償に、日本は国家として国際政治に復帰し、近代が始まりました。
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江戸幕府が制限付きで唯一貿易したのがオランダでしたが、龍江院には同国から初めて日本に漂着したリーフデ号の船尾に付いていた「エラスムス」木像が伝えられました。龍江院は家康が連れてきた三河出身の旗本牧野成里が中興しましたが、リーフデ号に搭乗していたウイリアム・アダムズ(三浦按針)から砲術指南を受けた関係で同像をもらったそうです(重要文化財)。
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檀家の方に本堂を案内して頂きましたが、本物は国立博物館に寄託されているのでレプリカを牧野公の遺物と共に見せて頂きました。偶々佐野市葛生にある吉澤記念美術館で現在展示されているとの事で、この後本物も見に行きましたが、レプリカはいい出来だと思います。左手が途中で取れてますが、聖書を持っていたらしく禁教令で削られたようです。エラスムスは「愚神礼賛」を書き、ルターの宗教改革に影響を与えた聖職者ですが、子供に体罰はいけないといった幼児教育論も展開していて16世紀の方とは思えない先進的な思想家でした。
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足尾銅山事件で活躍した田中正造の生家に立ち寄りましたが、これも我が国近代史の大きなテーマですね。足利市の隣で地味なイメージですが、佐野も面白い町でした。肝心な事を忘れてましたが、佐野ラーメンを食べておらず次回の宿題と致しましょう。
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