震災後の七尾(がんばれ能登) ~ NOV,2024 ~
元旦に起きた震災から一年が経とうとしてますが、和倉温泉には加賀屋を含め二十一軒の旅館がある中で、未だ四軒しか再開されていないとのことです。当地は震源地から直線で60km以上離れているにも関わらず、未だビニールシートが掛けられている家屋も多く、道路・公共施設の復興には時間がかかりそうです。七尾城に上る山からは、七尾市街とその先に横たわる能登島が臨めますが、実態は現地に行かないと把握できません。60kmというと都心から熊谷の距離になります。
七尾城への本丸には中腹の駐車場に車を停め20~30分程度山道を登りますが、広大な稜線に沿って堅牢な野面積の石垣を積み上げており、流石天下の名城です。残念ながら本丸は石垣が一部崩れ、危険な状況との事で立ち入り出来ませんでしたが、現在の城主らしい?カモシカがこちらを睨んでました。
畠山氏は室町時代に三管領の一角を占め繫栄した氏族ですが、鎌倉時代初期に起こった大事件により、平氏から源氏に本姓が変わりました。源頼朝の覇業に大きく貢献した畠山重忠は桓武平氏の主流であり、武勇・人格共に優れた仁で坂東武士の鑑と称されてました。頼朝の死後北条親子(時政、義時)はライバルを徐々に潰していきますが、畠山氏も例外でなく謀略で一族は誅されました(1205年)。北条家は重忠の妻だった時政の娘を、足利家当主義兼の庶長子義純に娶らせ、以後畠山氏を名乗らせる事になります。この子孫が室町期に管領家となり、分家が能登守護となりました。
兄の満家が足利義満の逆鱗に触れ蟄居した為、畠山満慶は一旦管領家を継ぎました。しかし義満の死後兄満家に家督を譲り、能登守護職をもらい分家したのが能登畠山氏の始まりになります。満慶は正長年間(1428~1429)に七尾城を築き、以後八代150年間、上杉謙信の侵攻により開城されるまで七尾は能登の中心として繁栄しました。兄に宗家の家督を譲ったのは、讃岐高松藩主である兄の息子と自分の息子を養子交換した水戸藩主徳川光圀公と通ずる美談ですが、実は満慶と四代将軍義持は仲が悪かったとの事情もあるようです。歴史研究最新号(12月号)では能登畠山氏が取り上げられてますが、間もなく発刊されるので冬の読書ネタにしようと思います。
上杉謙信はその死の二年前に一年包囲した七尾城を陥落させ、手取川で柴田勝家を蹴散らしましたが関東の戦線も緊迫している中、その後春日山に戻りました。有名な謙信の漢詩『九月十三夜陣中の作』は七尾城で吟じられた様ですが、遂に越中、能登を併わせた喜びが伝わります。
さて謙信が亡くなり、武田が滅び、本能寺の変後秀吉が信長の後継者となり、七尾にやってきたのは前田利家でした。利家は二年程しか七尾に居ませんでしたが、その間近世城郭として小丸山城を築城し、その備えとして寺院群を城の側の一角に集めました。当初29ヶ寺有りましたが現在16ヶ寺有り、『山の寺寺院群』と呼ばれ瞑想の道という遊歩道で結ばれています。
遊歩道は一部地震で崩れているところは有るものの、静かな木立の中寺院を巡りながら歩ける素晴らしい場所ですが、残念ながら多くは全壊・半壊状態で特に石塔やお墓の多くは倒れておりなかなか復旧が進まない状況が窺えました。広範な地域全体が影響を受けた中、特殊な技術を要する寺院や石造物の再建は誰でも出来るわけではなく、時間と資金を要するものと察します。
今まで何故来た事が無かったのだろうとがっかりしましたが、16ヶ寺は歴史的にも多彩で深く、文化財の保護と寺院の早期復旧を祈りたいと思います。幾つか写真を挙げます。
前田利家が建てた寺院は一つだけでしたが、両親の菩提を置きました。(長齢寺)
秀吉のバテレン追放令(1587)で浪人した高山右近を前田利家は保護し、右近の為に修行所を置きました。右近は家康の切支丹追放令(1614)を受けてマニラに渡航し、間もなく現地で客死しました。(本行寺)
天和の大火(1683)で犯人とされた“八百屋お七”の供養塔と長谷川家(等伯実家)菩提(長壽寺)
石川県を構成する能登と加賀は、それぞれ奈良時代初頭に越中から、平安時代初頭に越前から分離されて出来ました。聖武天皇の国分寺建立の詔が出た741年から757年までの間、能登は再び越中の一部となりましたが、その間に越中国司として大伴家持が赴任し能登を訪れ各地で歌を詠んでます。国分寺が出来たのは遅く承和十年(843)でしたが、鎌倉時代中期まで存続していたようです。
復興には長い時間と巨額な経費を要しますが、過疎化が加速する当地でどういう復興の絵姿(ビジョン)を描きえるでしょうか。災害の多い日本で、ここだけ過大な復旧予算を付ける事は出来ないでしょう。能登らしい将来像を見据え、月並みですが優れた文化(酒、魚、祭り)や歴史遺産を優先的に守り、アピールしていく事が重要だろうと感じています。がんばろう能登!
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