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風呂場は要注意 源義朝、頼家、太田道灌、ジャン=ポール・マラー


風呂場は無防備にならざるを得ませんが、やはり日本人は風呂好きなのか暗殺現場として好まれてます。義朝は平治の乱で敗れ東国に落ちのびる途上、家来筋の長田氏を頼り滞在中、入浴時に殺されました。京を脱出し3日間逃げ、馬を失い裸足で辿り着いた状況だったらしく、どうしても風呂に入りたかったに違いありません。この話には落ちがあり、平家に寝返った長田親子は平清盛からもらった官位(壱岐守)に不服を言って怒られ、その後頼朝に寝返りました。頼朝は彼らに美濃・尾張を恩賞で与えると伝えたので、親子は西国で果敢に戦いますが、結局処刑されます。落書で“生きのかみ(壱岐守)”が“身の終わり(美濃尾張)”になったと書かれたようで、実によくできた駄洒落です。 


奇しくも孫の頼家も修善寺で拘留中、入浴時に義時の手兵により殺害されました。愚管抄には首に紐を巻き付けて急所を刺したと書いてあるそうで事実なら残酷な話ですが、北条氏としてはなるべく隠したい話が、京にいた慈円にどういう経緯で伝わったんでしょうね。

 






時代はやや下り、太田道灌も風呂場で殺されました。太田氏は、以仁王と一緒に平家に対して挙兵した源三位頼政の末裔にあたります。

室町時代、関東管領を務める山内上杉家と扇谷上杉家との間で勢力争いをしていた頃、扇谷家の家宰として活躍した太田道灌ですが、主君の定正から嫉妬されて刺客を送られ、風呂上りに殺されました。定正に道灌暗殺をけしかけたのは山内家の上杉顕定と言われてますが、扇谷家が衰えた後、南関東にその後勢力を拡げたのは後北条氏であり、結局関東管領上杉家はもっと強力な敵を招く結果となりました。因果応報ですね。

 







風呂場で殺されたのは日本人だけではありません。フランス革命時の過激派であるジャコバン派に所属したジャン=ポール・マラーは風呂場でジロンド派のシャルロット・コルデーに殺されました。日本人の入浴習慣とは異なり、彼は体が水疱だらけになる皮膚病の治療で入浴してました。皮膚病の原因は永らく不明でしたが、最近DNA検査でマラセチヤ・レストリクタというカビが原因だったという事が判明したそうです。ジャック・ルイ・ダヴィッドの絵が有名ですが、肌は綺麗に見えますね。 



風呂といえばローマ帝国ですが、大浴場を作ったカラカラ帝も暗殺されましたが、彼は遠征先で立小便の最中に部下に刺されました。無防備な姿で殺されるのは嫌ですね。暗殺される危惧がある方は、入浴時と用を足している時は注意してください。

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