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熱海散策、駆け落ちのケーススタディ ~ 2023,DEC


源頼朝と北条政子が逢引きした伊豆山神社は訪れた事が無かったので、熱海の温泉宿に行った際にお詣りさせて頂きました。地図を眺めると、北条氏館と頼朝が幽閉されていた蛭ヶ島の距離は1.5-6kmでたいした距離ではありませんが、この辺りから伊豆山神社は山越えで直線でも15-6kmあります。この二人は近くに住んでいながら片道4-5時間かけて神社で落ち合っていた事になりますが、明るいうちに出て帰ってくるとすれば昼間の1-2時間が逢瀬タイムとなります。或いは、理由を付けてお泊りだったのかもしれませんね。


相模湾を見下ろす山の上に鎮座しており、上り下りするだけでもかなりのエネルギーを要しますが、眺望は素晴らしいです。遠く伊豆大島、三浦半島、房総半島を眺めながら、今後の野望を政子に語り口説いていたんでしょう。俺は“ただモノではない”と。平家全盛の最中赦されぬ恋だったわけですが、駆け落ちを成立させるには恋愛を妨げる大きな障害が必要です。

 


一条公爵の御令嬢直子妃は閑院宮春仁王と結婚しましたが、戦後離婚し民間人(大学教授)と再婚しました。春仁王は旧制中学から陸軍士官学校を出て少将まで昇進した軍人でしたが、ゲイで兵隊を寝室に入れて同衾していたとの事です。想像を絶しますが、夫婦の寝室で隣で亭主が男と寝ているわけで、いくら戦前の宮家・摂関家同士の婚姻とはいえよく続けていたと思います。このケースは離婚して再婚したので、厳密には駆け落ちではないかもしれませんが、不幸なミスマッチの典型でした。当然ですが、閑院宮家は王の薨去と共に断絶しました。春仁王の妹華子女王も、戦前華頂家(旧皇族)に嫁ぎ子供が3人いましたが、戦後離婚し不倫相手と再婚、戸田姓を名乗りました。敗戦と華族制度の廃止が無ければ、これらのミスマッチは表沙汰にはならなかった事かもしれません。

 






門跡寺院は皇族や上流公家の子弟が入るお寺ですが、法隆寺の脇に建っている中宮寺はその中でも尼寺として長い歴史が有り、行かれた方も多いと思います。尊昭尼は平松家という公家から一条家の養女となり出家し中宮寺門跡となり、戦後近所の子供達に書・茶・華道を教えてました。そこに通っていた中川君という高校生といい仲になり寺を出奔、還俗して結婚され大阪で平和に暮らされたようです。15歳差のカップルだったようですが、現代的な感覚からいうと、不倫と異なり誰に迷惑をかけたわけではないので、良かったですねとお声をかけてあげたい話です。

 












戦前のスキャンダルで有名なのは、大正三美人の一人、柳原白蓮です。伯爵家のお嬢さんで最初北小路子爵家に嫁ぎますが、最初の夫はDVがひどく、一子を儲けますが二十歳で実家に戻ります。再婚先は筑紫の炭鉱王伊藤伝右衛門で、所謂成金の典型だった方で女性関係も複雑であり、金銭的には豊かだったものの満たされない生活でした。短歌や文筆業に没頭する最中、弁護士で社会運動家だった宮崎龍介と出会い子供が出来て駆け落ちをしました。戦前ですから“姦通罪”の対象であり思い切った事をしましたが、3度目の結婚は歌人・小説家として活動を続けながら幸せなものだったようです.龍介は孫文の盟友である宮崎滔天の息子で、中国政府(蒋介石)と特殊なパイプもあった事から近衛文麿は対中外交で彼を利用しようとした事もありました。昭和史の中でも面白い存在です。






因みに大正三美人とは、柳原白蓮、九条武子、江木欣々だそうです。

 































熱海ではもう一つ、坂上田村麻呂が戦勝祈願した来宮神社があります。熱海のもう一つのパワースポットですが、樹齢2千年を超えるクスノキは実に見事です。








伊豆の山中で群れから逸れた子ザルが芸を見せてくれました。猿回しの収益は、動物保護の経費に充てられてます。関東地方を転々としながら神社の境内を借りて活動をしており、見かけたら楽しい芸を見てあげてください。


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