文化人の終の棲家(青梅) ~DEC,2024~
少し早めの冬の到来となり、東京は乾燥した晴天が続いてます。青梅の御嶽神社は“登山”のイメージが
有り従来敬遠してきましたが、最近ケーブルで登れる事を知りいそいそと出かけて参りました。とはいえ到着駅からは更に急峻な階段や坂道を登る事となり、安易に霊験を拝む考え方を反省した次第です。辿り着くと獅子のような狛犬が出迎えてくれましたが、これは実は白いオオカミで日本武尊の東征を導いた聖獣です。日本武尊の進軍を妨害したのが白鹿で助けたのがオオカミというのが、昨今の害獣問題を連想させます。
ここには畠山重忠が奉納したとされる国宝の鎧と兜が有り拝観を楽しみにしてましたが、残念ながら平日は閉館してました。無念でしたが、健康維持も兼ねて再訪したいと思います。
今年は戦時中郊外に疎開し、そのまま終の住処とした白洲次郎(町田市)や武者小路実篤(調布市)の自宅や記念館を訪ねましたが、青梅には川合玉堂と吉川英治のそれぞれ美術館と記念館がありお邪魔しました。日本画家と歴史小説家の巨匠は奇しくも青梅の山里を最後の地と選び、晩年文化勲章を受けられました。青梅市は両方訪れる方を対象に入館料の相互割引サービスをしており、気が付かずに正規料金を支払ってきましたが双方十分見ごたえのあるものです(悔しくありません)。玉堂は昭和三十二年、吉川英治は昭和三十七年に亡くなりましたが、今も色褪せなく大家の功績を感じる事が出来るのは有難い事です。
玉堂美術館の側には多摩川の上流が流れており、渓流釣りやラフティングを楽しむ人達がいました。以前近代美術館で観た“行く春”を連想する風景ですが、古い日本の風景を描き続けた画家の晩年の心象に(微々たるものながら)近づけたような気がします。いつかは玉堂の絵を飾るに相応しい渋い部屋で落ち着きたいと思っておりますが。。。
玉堂美術館から2-3km山を降りると吉川英治記念館がありますが、比較的新しい住宅街に囲まれてます。青梅より先は単線の奥多摩線が多摩川渓谷沿いに続き、大雨が降ると止まる事が多く不便な場所だと思ってましたが、美しい山々と渓流に身近にアクセスできる環境はリタイア後住むには快適かもしれません。
英治は弘化年間に建てられた農家を買い取り、此処で平家物語、太平記、水滸伝を書き絶筆されたようです。
その他太閤記、宮本武蔵、三国志と著作を挙げるときりがないですが、何れも日本人の大好きな英雄達を活き活きと描き、日本人の歴史観みたいなものに影響を与えた第一人者だと思います。わくわくしながら読んで大河ドラマで楽しむ歴史小説が出てくる事を引き続き期待したいですね。
近所の即清寺を訪れました。寺院の裏山には四国八十八カ所霊場巡りが出来る八十八ヶ寺の石碑が建てられ、1時間程で周りましたが足弱な老人にはきついかもしれません。青梅は旧い宿場町で市内見どころは多いですが、山間部も味わい深いです。
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