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嫁いだ先でしっかり根を張る話

日本の婚姻制度は幾度変遷してきたらしく、ものの本によると、ツマドイ→ムコトリ→ヨメイリで推移したそうです。ムコトリとは即ち別居から同居への移行、ヨメイリは更に同居先が女房宅から亭主宅に移るわけですが、平安から鎌倉にかけて丁度貴族社会から武家社会への転換期に起こったようです。


結婚式というのも鎌倉以降のものらしいですが、現代社会につながる“家”という単位が日本ではより重要になってきた事が背景かと思われます。個々の家の保有・相続資産を定義し、家格の維持を図る為には、親子の繋がりや素性がわからない状況は困ります。


藤原氏が様々な背景で邸宅前の通り(九条・一条)や官職(斎藤、木藤)、受領なら国の名(武藤・加藤)を付けて名乗りだしたのは、勿論みんな藤原ではややこしいという事はあるでしょうが、家単位で守る資産や名誉が重要になり、氏とは別に家族を明確に括る家の姓が必要になってきたという事ではないでしょうか。特に一所懸命な武士階級では領地や荘園の名を冠し、守るべき家と財産を定義したという事でしょう。ただこの話は専門家にもっと多面的に整理してもらうのがいいでしょうね。


そういう流れの中で、ヨメイリ期に入り、嫁に入る女性は子孫を作り(血のつながりを証明できるのは実質彼女しかいません)、家族を実質的に束ねる役割を果たしていきます。日本は表向きは家長が強いですが、実は奥さんが強いです。


赤橋登子(1306-1365)は北条氏の中でも家格が高い家の出身で、兄には執権になった守時がいます。足利家は鎌倉期代々北条氏との婚姻を重ねてきましたが、尊氏は嫡子である兄が早逝した為に偶々継子となり、母親は上杉家(藤原北家傍流の勧修寺流)出身でした。

当時の執権・得宗であった北条高時の偏諱を受けて当初高氏を名乗り、後に幕府に反抗し後醍醐天皇(諱は尊治)についた為に、尊氏に変えます。

鎌倉北条氏と足利家の系図を見ると、深く絡みあい略一族化してますが、登子から見ると亭主は実家の敵方・仇になりました。ところが彼女は尊氏嫡男将軍義詮、鎌倉公方基氏の母であり、名誉ある地位を得て天寿を全うしました。

新田義貞が鎌倉に侵攻した際には、千寿王(義詮)を連れ人質として滞在していた鎌倉を脱出します。北条一族は東勝寺で滅びますが、彼女は赤橋家と運命を共にしませんでした。


江(崇源院、1573-1626)は浅井長政と織田信長の妹、お市の方との間にできた三姉妹の一人、徳川秀忠の正室です。

将軍秀忠が恐妻家だった事は有名ですが、2人の間には成人した子女が家光・忠長(駿河大納言)を含め7名おり、娘は何れも天皇家・摂関家・大大名に嫁ぎ、徳川時代初期の政権安定化に貢献します。江は元々豊臣秀吉の甥秀勝との間に一女(完子、九条家に嫁ぐ)を設け、後に秀忠に嫁いだので今様で言うところのシングルマザーですが、正室は強いです。

登子も江も、亭主には隠し子に近い、庶子(足利直冬と保科正之)がいます。将軍たるもの、後継者の安定確保という点では、寧ろ積極的に側室を置き後継者のスペアを確保しておく必要がありますが、時には子供同士でライバルにもなり火種を残すことになります。この二人の場合、幕府草創期に将軍と共に苦労を分かち合ってきた身として、別の女性の子が過大な処遇を受けるのは我慢できなかったのかなと想像します。


直冬は尊氏の弟直義の養子になりますが、尊氏嫡流とは相いれず西国で抵抗を続けます。一方正之の場合、家光は忠長亡き後唯一血の繋がった弟としてこれを認知し、会津23万石の太守に封じます。会津藩は最後まで幕府の為に戦う由縁です。


類似事例では北条政子がいますが、彼女は強く頼朝の奔放な女性関係を牽制しますが、鎌倉殿の13人を見ての通り、効果は余り無かったようです。彼女こそ黎明期から頼朝を支えたわけですが、彼女の場合は最後は源家より、北条家と幕府を守る方を選びました。その他、真田信之に嫁した小松殿(本多平八郎忠勝娘)も豪傑でしたし、こういうしっかりした嫁が婚家を支えた話は無数にあります。


こうしてみると、鎌倉 - 室町 - 江戸期にかけて、試行錯誤の末に家を守るべく血統の正当性(嫡出・庶流/正室・側室の扱い)を維持する仕組みが徐々に整理されてきたように思います。厳格すぎると、断絶リスクがありますし、緩すぎても正当性・神秘性が薄れる中で、徳川家の御三家・御三卿や、皇室の宮家は家の連続性を担保するべく重要な機能を果たしてきました。

女系天皇の議論を見ていると、現代において日本人が守りたい価値観とは何か考えさせられます。過去の倫理観を現代のそれで判断したり、薄っぺらい人権論に陥らず、もっと本質的で自由な議論が出来ればいいのですが。


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