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秩父三峯神社 2023年5月と椋神社 2023年11月


私が住んでいる西東京エリアから車で秩父に行く時は関越道経由か、青梅から都道・県道を走る二択になります。山道が好きなので急がない場合は後者を選びますが、清流や長閑な集落の景色で癒されます。

秩父は旧くは知々夫と書き、古代知々夫国造の支配下にあり大和朝廷に従属した支配者がいたものと思われます。事実当地の最も由緒ある秩父神社の祭神は初代国造とその先祖となっており、こういう主要な神社の謂れは地域の歴史を紐解く鍵になるものと思われ注意して見ています。秩父神社は数年前に訪れましたが、この秩父の旧い豪族と、その後入ってきた秩父平氏がどう交わって融合してきたのか気になってました。もっとも4-5世紀の支配者だった知々夫氏と10世紀に入ってきた桓武平氏の一派を結びつけるのは容易ではありません。


秩父盆地は広い平野部が拡がり、何層にも連なる武甲の山々に囲まれた空間にあります。後から入ってきた秩父平氏は、秩父の中心地から結構離れた奥まった地域に拠点を構えたらしく、現在館跡の碑が吉田小学校のあたりに置かれてます。中世の館らしく高い地形を利用しようとしたのか、元から住む有力者に遠慮して先ずは山間に住もうとしたのか不明ですが、ここで地力を蓄えて武蔵全体を覆う武士団の形成に繋がっていく経緯は興味深いです。関東武士の鑑と言われた畠山重忠しかり、土肥・千葉・葛西・江戸・河越と名だたる名族を輩出した理由や名残がこの地に残っているような気がします。

三峯神社は標高千メートルを超える高地に建っており、車は必須ですが結構な山道で駐車場の容量も限りがあり、平日に行くのがお薦めです。これと秩父神社、宝登山神社と併せて秩父三社といい、ここと宝登山神社は大和神話の神様が祭られています。

関東圏の絶景が楽しめるパワースポットとして神奈川県の大山と匹敵すると思われます。




さて、椋神社はこれらの御社と比べると多少地味ですが、秩父氏館跡からも近く秩父氏が庇護していたようで、猿田彦を祭る本殿のそばに八幡様の社もありました。猿田彦は天孫降臨の国譲りで出てくる神様、創建は日本武尊の東征が由来との事で、地方の有力豪族が大和朝廷勢力に席巻される経緯が暗喩されているのかなと想像しながらお参りしました。



この神社は、秩父事件(1884)の決起地でした。蚕の飼育が盛んな同地は、欧州での生糸市場の暴落の煽りを強く受けますが、松方デフレが更にそれに拍車をかけました。租税軽減・借金据え置きを主張し日本困民党を結成され、武装蜂起して役所・高利貸の書類を燃やしますが五日間で軍隊まで繰り出した政府に鎮圧されました。



秩父の山々は人の心を癒してくれます。

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