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長幼の序と黄門様


水戸黄門の放映が終了して久しいですね。放送開始は昭和44年だそうで40年以上も続いた長寿番組ですが、日本人の多く・・・特に当時のお父さん達は月曜の晩酌の御供で同番組を観て、印籠を出すシーンで溜飲を下げてました。週の始めは静かに勧善懲悪を楽しむのがいいと思いますがリメイク再開を期待するのは自分だけでしょうか。


水戸藩は徳川御三家三兄弟の末弟、家康11男頼房公が始祖で、光圀公は2代藩主となりますが次男です。兄の頼重とは6歳違い、二人とも同じ母親(久昌院)から出生しましたが父親頼房は堕胎を命じた為に家臣が匿って育て、後年認知される事となります。堕胎の背景は幾つか有る様で書くのは別の機会としたいですが、少なくとも一度堕胎を命じて置きながら又同じ女性と子作りをして再び堕胎を命ずる神経は頂けないと思います。現代の倫理観で過去を断ずるのは良くないと思いますが、本件は如何でしょう。光圀公は襲封後、自分の実子(頼常)を兄(高松藩主頼重)の養子に出し、兄の実子(綱方・綱條)を自身の継嗣として引き取りました。本来の順序が逆だというわけですが、よく似た境遇で苦労を分かち合った兄との絆が窺えるし、後に大日本史編纂を始める公の強い意志や独特の倫理観といったものが感じられます。テレビでは高松に何度か訪れた事になっており、実子『頼常殿』を気遣うセリフが出てきますが、歴史ファンの見どころの一つでしょう(自分は背景を知っているよと)。


話は変わりますがインディジョーンズ最後の聖戦では、聖杯の間に辿り着くまでの難関でアルファベットが個々に書かれた石を正しく踏んで通り抜けるシーンがありました(間違えた石を踏むと崩れ落ちて奈落の底に真っ逆さまに落ちてしまう)。ラテン語を少しかじっていた私はイエスキリストのスペルを順番に踏もうとするインディのシーンを観てあれ?と思いました。ラテン語にはjはなく、イエスの正しいスペルは“iesus”、インディは最初迷いましたが落ち着いてiから踏み始めて無事突破しましたが、高校までにラテン語を習う欧米系の方々だけが解かる場面でした。このシーンの面白さは自分にしかわからないのではと発見する事は滅多に無いですが楽しいですね。

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