

一字姓のドラマ ~伴さん、長さん、高さん~
日本の姓は漢字二字のものが多く、偶に一字姓が出てくると由来を調べたくなります。もっとも日本人の多くが何れかの姓に由来するとされる源平藤橘の内三つは一字姓ですし、森さん、谷さん、原さん等巷間一字姓は溢れており、それほど拘るテーマでは無いのかもしれません。 一方で、元々二字・三字の姓だったものが一字になったケースがあります。奈良時代に家持を始め公卿を輩出した大伴氏は、淳和天皇の諱(いみな、本名だが生前使う事を忌むもの)が大伴であった事からこれを忌避し、伴氏を名乗る事となりました。それから数十年後伴氏は応天門の変で失脚し、古代ヤマト王権から続く名門が零落するきっかけとなりました。国宝の「伴大納言絵詞」を見られた方は多いと思いますが、本作品は事件の300年後に後白河法皇が作成させたと考えられています。 公家としては零落しましたが、大隅の戦国大名として一時期島津氏と覇を競った肝付氏は伴氏の末裔を名乗りました。地方官として薩摩に下向しその後現地に土着したそうですが、頼朝や鎌倉幕府から地頭に任命されて土着した島津氏や伊東氏よりはかなり古い現地領主になりま
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家督は兄にお還し申す ~水戸黄門と畠山満慶~
古今東西家督相続の揉め事は数多く有りますが、長幼の序を重んじ弟から兄又は兄の子供に家督を還したのは水戸光圀と畠山満慶でした。 水戸黄門の放映が終了して久しいですね。放送開始は昭和44年だそうで40年以上も続いた長寿番組ですが、日本人の多く・・・特に当時のお父さん達は月曜の晩酌の御供でテレビを観て、印籠を出すシーンで溜飲を下げてました。週の始めは静かに勧善懲悪を楽しむのがいいと思いますが、リメイク再開を期待するのは自分だけではないでしょう。 水戸藩は徳川御三家の末弟、家康の11男頼房公が始祖で、光圀公は2代藩主となりますが次男になります。兄の頼重とは6歳違いで二人とも同じ母親(久昌院)から出生しました。兄は父頼房が堕胎を命じた為に家臣が公家の滋野井家で匿い、後年認知される事となります。 堕胎を命じた背景は、尾張・紀伊両藩を構える兄達(徳川義直、頼宣)に未だ世嗣が出来ない中で、末弟の自分が先に授かるのは宜しくないとの思慮が働いたものとされてます。六年後に生まれた光圀が生まれた際には既に尾張藩・紀伊藩には世嗣が誕生していましたが、再び頼房は堕胎を
6月12日読了時間: 4分


西山逍遥 ~ 京都 MAY,2026 ~
今回は桂川の西側を回遊しようと思い、長年行きたかった西芳寺(苔寺)を予約しました。大きな前線が近づいているとかで、晴れているうちに眺望のいい場所に行こうと探しましたが善峯寺が一番いいようです。東山では将軍塚古墳からの眺めが一番でしたが、ここからは逆方向で京都盆地を眺めることになり、正面に比叡山の稜線が連なります。 桓武天皇は平城京から平安京に遷都する間に、桂川の手前で一旦長岡京を造営しました。西山周辺にはこの長岡京遷都に際し造立された寺社も残っており、又それ以前には外来系である秦氏の植民地域でもあった事から多くの伝承・由来が錯綜してます。 西芳寺の由来は聖徳太子の別荘跡に遡ると言われています。桂川を超えた嵯峨野の入り口には秦氏の名前を採る太秦(うずまさ)があり、太子開基の広隆寺や蛇塚古墳もあり、嵯峨野から西山にかけて秦氏の支配領域だった事が想像できます。 70年代から参詣は完全予約制になっており、従来はハガキで申し込むスタイルだった為に敷居が高く訪れる機会が有りませんでした。最近WEB予約が可能になり、嬉しくなって何回来れるのか保障も無
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