

筑西の渋い城下町 @笠間 ~JAN,2026~
日本三大○○というのは得てして四つも五つもあるケースが多いですが、“お稲荷”さんも例外ではないようです。伏見稲荷と豊川稲荷は不動の一番・二番ですが、三番手は地域によってまちまちで関東では大凡“笠間稲荷”が三番手に挙げられます。 そもそもお稲荷さんの主神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)で穀物の神様であり、当該地域が旧くから穀倉地帯であったという証左でしょう。お稲荷さんといえば神様の“お使い”である狐で有名ですが、狐を神様本体だと勘違いしている人が一定数いるようで立派な注意書きに苦笑しました。 笠間城は承久の乱の二年前、1219年に笠間時朝により築かれました。彼は下野の名門宇都宮氏の一族であり、以後笠間氏は秀吉の小田原征伐まで当地を支配しました。坂東の名族はたいてい平将門に代表される桓武平氏、その将門を滅ぼした藤原秀郷、そして前九年・後三年の役で活躍した源頼義・義家の何れかを祖としている場合が多いですが、宇都宮氏は藤原道兼の末裔を自称します。道兼は花山天皇を騙して出家させ、一週間だけ関白をやり病没した数奇な人生を送り、摂関家の主流は弟の道長の系統
2 日前読了時間: 6分


渥美半島 田原から豊橋へ ~ JAN,2026 ~
冬の歴史ツアーはなるべく雪を避けて計画しており、太平洋岸を走るにしても凍結しやすい箱根と伊吹山から雪が流れ込む東海エリアは天気予報を確認しながら向かう事にしてます。今年は西国三十三か所巡礼や四国八十八か所巡礼に着手しようかと考えており、手始めに来月は那智勝浦の青岸渡寺に向かおうと計画してます。伊勢湾岸道路はこれまで結構走ってきたので偶には渥美半島から鳥羽に渡るフェリーに乗ってみようと思い、下見がてら伊良湖岬に向かいました。 灯台の先には旧陸軍設備も置かれた神島、その向こうには鳥羽市沖合の答志島他が霞んで見えます。伊良湖港と鳥羽港はフェリーで55分で結ばれており、8~9便/日運航されているとの事で使いやすいですね。灯台の近くに、近隣の島に流された天武天皇皇子麻績王(おみのおう)の万葉歌碑が有ります。この皇子は日本書紀では因幡国に流されたとの記述有りますが、万葉集ではこちらに流された事になってます。背景は不明ですが、一説によると壬申の乱で大友皇子側に付いたと言われてます。不謹慎ながら風光明媚でいい流刑地です。今回はここから田原、豊橋に向かいます。
1月16日読了時間: 7分


吉備路めぐり(総社辺り) ~JAN,2026~
年が明け今年最初の歴史巡りは岡山にしました。広島に住んでいた頃、水島や玉島に出張する機会は有りましたがゆっくり観光をする時間は有りませんでした。山陽道で際立って古代から開けていた当地の事は昔から気になってましたので、わくわくしながら回遊しました。先ずは高いところに上ってみようと、鬼ノ城と呼ばれる古代城塞の頂きに立ってみます。663年白村江の戦いで敗れた大和朝廷は、西日本各地に新羅・高句麗・唐の侵攻に備え幾つか城郭を築きました。百名城ではここと大宰府の大野城、続百名城では同じく大宰府の水城(みずき)、佐賀県の基肄(きい)城、そして対馬の金田城が指定されています。 縄文海進により五千年前から弥生時代までは現在の岡山・倉敷エリアは殆ど海中で、児島半島は独立した島でした。一方内陸の総社地域は当時から陸地で、古代遺跡(巨大古墳、神社、国分寺跡)が集まってます。 早くから開けた地域であり米作の伝来も紀元前6世紀と見られており、記紀や古墳の調査により出雲や北九州エリアに匹敵する有力首長の存在が確認できます。後漢に朝貢(107年)した帥升(すいしょう)が吉
1月11日読了時間: 5分






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